なぜ、京都に始皇帝が祀られている?「大酒神社」
筑波大名誉教授、谷川彰英先生の大ヒットの『地名の由来』シリーズ、京都編から「大酒神社」の項をご紹介いたします!
さらに、この功満王の子の弓月王が応神天皇一四年(三七二)、百済より一万八六七〇余人を統率して帰化し、金銀などの宝物を献上したとあります。
さらに、この弓月王の孫に当たる酒公は秦氏を率いて蚕を飼い、絹織物を生産し、天皇の庭にうずたかく積んで献上したところから「禹豆麻佐(うつまさ)」という姓を賜ったということはよく知られています。
また秦氏は機織りだけでなく、農耕、造酒、土木、管弦、工匠など多方面においてわが国の文化面で大きな貢献をしています。
そういえば、秦氏はこの地にとどまらず、伏見方面にも力を伸ばし、伏見稲荷の農業の神、さらには伏見の酒づくりにも貢献したといわれています。
さきに、「大酒」の「酒」は「境」からきたのではという説を紹介しましたが、由緒書では「今大酒の字を用いるは酒公を祀るによって此の字に改む」とあるのです。
毎年一〇月一〇日の夜は、白い仮面をつけた神様が、黒牛に乗って練り歩き、五穀豊穰を祈ることになっている。京都三大奇祭の一つ「牛祭り」であるのです。
太秦から嵯峨野一帯は秦氏の影響で発展したところ。そんな思いで歩いてみたいものです。
<『京都地名の由来を歩く』より ③>
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